なんだか嫌な胸騒ぎがする。もしかしたら…その先は分からないけれど,
なにか裏で深刻な事態がひろまっているんじゃないかという気がして…




                              Remember… S




「中尉,先日麻薬の密輸で逮捕したヴェイン・ハウトが自供しました。中尉が上層部に意見したとおり,ここのところ立て続けに起こっている事件の首謀者はレイン・エルフォートで,麻薬密売の前科があります。軍部を狙ったテロの幹部で,一連の誘拐や爆破事件はレインを首領とする組織が黒幕にあるそうです。理由はやはりイシュヴァールの内乱のようです…」

イシュヴァールの内乱には覚えがあるらしく,下士官は表情を歪めた。

「そう…」

私も表情をゆがめることしかできなかった。

あの内乱は,命が本当に儚くて,残酷なものだったから―――――

その時,バタンと勢いよくドアが開いた。

「中尉,拳銃の取引がA軍基地付近の貧民街で行われるという情報が入りました。至急,中尉に総指揮を執って頂きたいとのことです」
「わかりました。それではL小隊をお借りすると,上層部には伝えておいてください」

ホークアイは地図を広げ,車の上で揺られながら白い指で地図の上をなぞりながら的確に指示を出していく。

「ハボック少尉,5人で西側を包囲してください。ブレダ少尉は4人を連れてこの辺りの東側を。私は北側へまわります。取引の時間は2時丁度です。おそらくこの道筋を通ってきますから,私が合図したら一斉に包囲してください」
「「はい」」
「それでは配置について下さい。時間がありません。それでは,これを装備して突入体制に入っ てください」

そう言ってホークアイはイヤホンのついた無線機を渡し,銃を装備し外へ出た。
続いて2人も部下を連れ,外へと急いだ。

それから10分もしないうちに,旅行鞄より少し小さいくらいの黒いスーツケースをもった男が現れた。
その周りを数人の男達が囲む。
その5分後,今度は大きなスーツケースをもった男が,またも同じく数人の男達を連れて現れた。
その鞄の大きさは,おそらく前に来た男のケースの1,5倍くらい。かなり大きい。
男たちは挨拶でもするかのように軽く右手をあげあった。

「さっそくだが,取り引きにさせてもらおうじゃねぇか。ちょっと時間がつまっててな。急いでるんだ」
「こっちも同じだ。早く終わらせてくれ。時間がない」
「ほら,約束のモンだ」

男は投げられたスーツケースを開け,中身を確認すると部下に向かってちょい,と指を動かした。
“渡せ”との暗示だったようだ。

「約束の金額はこれでよろしかったでしょうか?」

渡されたスーツケースを開けて,同じく中身を確認する。

「油断してるわ…今よ!」
「「「突入!」」」

ホークアイ,ハボック,ブレダは小銃を構えて敵前に躍り出た。





「ふい〜…疲れた〜あれ結構キツいだろ〜…少人数すぎだって」

椅子にもたれて煙草に火をつけながら,ハボックはのんきに,愚痴るような口調でブレダに話しかける。

「あんな広範囲だからってぞろぞろいってたら明らかに怪しいし,敵にばれるだろ。そのことも考えて中尉は出来る限りの少人数で行ったんじゃねーかな」
「確かにそーだな。でもさー,あいつらだけなら大佐一人で十分だと思わねーか? 雨も降ってなかったし。爆発物もなかったことだし」
「…だな。でも俺…大佐記憶喪失になったって聞いたぞ?」
「…まじ?」

ブレダはこくりと頷き,真剣な表情でハボックのほうをむく。

「なんか聞いた。誰からかは忘れたけど」
「…今度見舞いにでもいって,真相を確かめてくるか」
「そだな。それが一番手っ取り早えーしな」
「そぉいや…中尉はどうしたんだ?」
「さっきの書類でもつくってんじゃねーの?たぶん」
「そういえばさ,なんか今日の中尉元気なかったよな…」
「そうか?いつも通りだったと思うけど…それより俺喉乾いた…」
「そーいや俺も…なんか買ってくるわ。外に自販機あったろ?」
「あ,俺炭酸の冷たいやつな!」
「わぁったー」






「…ガラガラだな…」

ハボックが2人分の缶ジュースを持って廊下を歩いていると,自分の足音が聞こえるほどに司令部内が静かであることに気がついた。
おそらくここのところ立て続けに大規模なテロ事件や爆発事件などが起こっているから, 皆出はらっているのだろう。

「…ここまで静かだとなんか怖えーな…ここにすすり泣きでも聞こえたら…」

想像して思わず身震い。

「…さっさと帰ろ…」

ハボックの歩調が早足になる。
そこに,すすり泣く声がハボックの耳にとどいてきた。

「…まじ…?」

ハボックが嫌な想像をして小走りから少しスピードを上げて走ると,だんだん泣く声が大きくなってきた。
どうやら,泣く声は前方から聞こえてくる。

『怖ッ!なにが…』

泣く声が聞こえてくる部屋の前でとまってみる。
それは確かに女性のものだった。

『こんな真っ昼間に幽霊は勘弁だぞオイ…』

ドアの隙間からそっと部屋の中を覗いてみると,誰もいない。

――――とは思ったものの,一人女性を発見。
それは,ホークアイの姿だった。

『書類作りか…大変だな…』

そう思って一言声をかけようとして,あることに気づいた。

―――――泣いている。

滅多に感情を表に出すことのない中尉が,泣いている。
俄には信じられなかった。

『大佐は記憶喪失になってるって聞いた』
ブレダの言葉が脳裏をかすめる。

『あれが本当なら…そっか…だから中尉…』
ドアの横の壁にもたれかかって,煙草に火をつける。
ふぅ,とため息をつくように煙草の煙をはく。
『確かに…俺が勝てるハズなんかねーよな…』




「中尉」
「あっ…なに?ハボック少尉」

俺が声をかけると,彼女は気づかれないように涙を拭いてから俺の方にむきなおった。

「書類作り,大変そうっスね」
「ええ。でもあと少しで終わりそうなの。だから大丈夫よ」

『大丈夫』

無意識に口をついてでた,その言葉。
本当は壊れそうなくらい苦しいのに。
泣きそうなのに。
顔に出ないだけで,私は泣いている。
大佐に“誰”といわれたあの時からずっと。


「はい,コレ。疲れたでしょ」
「あ,ありがとう」

『俺のはまた後で買えばいっか…』
と思いつつも,ブレダ用に買った缶ジュースを開けるハボック。

「2,3人くらい…逃げられたっスね」
「ええ,そうね。でも,あなた達はよくやってくれたと思うわ。これからも頑張ってね」
「…それはどうも…あ,大丈夫っスか?撃たれたでしょ」

ハボックはとんと自分の肩を叩いて,ホークアイが撃たれたであろう場所を示す。

「ああ,それなら大丈夫よ。かすっただけだったし,救護室へ行ったわ」
「1人…なんか身軽でしたよね。なんか人間じゃないくらい…」
「そうね…私も油断していたのかもしれないわ」
「もし次にあいつらと町中でやり合うことになったとしたら…」
「一般市民に被害が出るわ。ほぼ間違いなく,ね」
「やっぱそうですよね…」
「治安を守るために,言い換えれば一般市民を守るために軍が動く。 なのに,その軍が一般市民を犠牲にしてまで犯罪者を殺す…矛盾してるとは思うけれど…」

俺は言葉を消した。その先の言葉はわかっていたけれど。

「それ以外の方法はないのよ。なにかを犠牲にしないと,守れないものもある。 例えその犠牲になるものが,守らなければならないものだとしても」

そう言う彼女の瞳は強く光っていたけれど,どこか悲しさのようなものをひめていた。
矛盾してるわよねと言って,ホークアイはジュースに手をのばした。

その瞬間,ポツリとハボックが呟いた。

「そーいえば…大佐記憶喪失になったって聞きましたけど」

缶を開けようとする彼女の手がとまる。

「…そうね…」
「…それ,本当なんスか?」
「…ええ…」
「てことは…みんな忘れてるんスかね…やっぱ…」
「…そうね…」

お見舞いに行ったときの,彼のいつもと違う表情が頭に浮かんできた。
私を『誰』といった時の,彼の表情が。

「元に戻る確率は…低いらしいわ…」
「…そースか…」

そういう彼女の横顔は,とても悲しそうで。寂しそうで。辛そうで。

『やっぱ勝てねぇよな…大佐にゃ…』

恋敵から彼女を奪うには,自分の力が足りなさすぎる。
地位だって顔だって,なにもかも。

でも彼女を悲しませるなんて,許せない。

せっかくこんなに愛してくれているというのに, 贅沢すぎる。
彼は,ロイ・マスタングという人は。





『あ…っ』

思わず涙が溢れそうになった。
なぜだろうと考えてみると,きっとそれはバニラの香り。
隣にいる彼の周囲をとりまくのは,甘く優しく包み込むバニラの香り。
彼の吸う,アークロイヤルという銘柄の煙草のせい。
バニラの甘い香りというのはどうもリラックスできてしまう。
張りつめていた気持ちが,ゆるんでしまう。
抑えこんでいた涙が,溢れようとしてしまう。
そして,抑えきれなかった涙が一筋だけ私の頬をつたった。

「ちょ…中尉!どしたんスか!?」
「なんでも…ないわ…大丈夫だから…気にしないで…」

きっと彼女は知らず知らずのうちに自分を追い込んでしまったのだろう。
守ってあげたい,救ってあげたい。
けれど,彼女にとって必要な騎士は他にいる。
俺じゃ,到底無理。

「ごめんなさ…少尉。心配かけてしまって…」
「…いいっスよ,べつに」

彼女が俺の前で泣くほど,無理した笑顔を見せてくれるほど, 俺は悲しくなるような気分を覚えた。

『俺じゃ…大佐のかわりになることなんて無理だよな…』

恋敵は,俺にない物全てを持っていて。
俺が持っている物は,全て恋敵のほうが勝っている。
彼女の愛も,彼女の涙も。
それは仕方ないことだと割り切っていたつもりだった。
でも,まだ,好き。

彼女の騎士は今病院で。それも,彼女のことを忘れている。
これはチャンスといえるものなのか。
でも彼女は今でもずっと,大佐のことが好き。
それは,変えられない事実。
人を想う心が人の意思で変えられるはずがないのは,自分でもわかる。

「大佐なら大丈夫っスよ。中尉が信じてあげないと,どうなるんスか?大佐は」
「…少尉…」

俺が出来るのは,これくらい。
恋敵なら抱きしめたりするんだろうが,俺にはそんなことはできない。
これが俺の精一杯。

「ありがとうございます」

そう言い残して,お礼の笑みをこぼす。
そして彼女は再びデスクに向きなおった。





「おー,ハボック。遅かったな」
「あぁ,ちょっと寄り道。 炭酸てこれでよかったか?」

ヒュ,とハボックはブレダに缶を投げる。

「おま…ハボック!炭酸だってことわすれてるだろお前!」
「あ〜…つい,な。つい」
「ったく。罰として寄り道ってどこ行ってたのか教えろ」

ハボックは煙草をくわえ,火を点けてから椅子にもたれかかり,口を開いた。

「…失恋してきた」

煙草の煙をはきながら,どこか黄昏れるように やる気のあるようなないような, いつも通りの声で。

「・・・はぁ?」
「…やっぱなんでもないわ。 ま,気にすんな」

ぽん,とハボックはブレダの肩を叩く。
どっちが失恋したのやら。
そんなハボックを横に,ブレダは意味が分かっていない。

「えっ…失恋って…はっ!?」
「だぁから,なんでもねぇって」

そういうハボックの横顔は,どこかさっぱりと, なにか吹っ切れたような雰囲気を纏っていた。






ハボックがホークアイに失恋(?)してから3日後。
仕事が一段落したであろう穏やかな昼下がりに, 事は時と場を選ばずやってきた。

「中尉,爆弾を仕掛けたという犯行声明文が届きました! 場所は中央第一市民病院1号棟2階,爆発時刻は今日の正午12時です! 患者の避難を第一に,爆弾をとめるようにとの要請がきています!」
「了解しました!中央第一市民病院で…」

場所を確認しようとしたホークアイの言葉が途中で失われた。
中央第一市民病院。そこには大佐が記憶を失ったまま,入院している。
一瞬だけ頭の中が真っ白になりかけた。

「クラウト少尉!至急応援要請をお願いします!第一市民病院には患者を避難させるように連 を!私はハボック少尉,ブレダ少尉,ファルマン准尉,フュリー曹長を連れて先に現場へ向かい ます!」
「中尉!?中尉!」

下士官の声も忘れ,私は少尉たちを連れて一目散に車に飛び乗ってアクセルを踏んだ。

『大佐…どうか無事で…』

正午まで,あと1時間。





看護婦は発火布をロイに見せて,優しくロイに問う。

「ロイさん,これを覚えていますか?『貴方は焔の錬金術師』という国家錬金術師だったんです。」
「焔の…錬金…術師…?」
「ええ。覚えていませんか?」
「…なにも…」
「では,この写真を見ていただけますか?」

目の前に出されたのは,深い緑色のアルバム。
看護婦が1ページ目をめくって,ある写真を指さす。

「この人が誰だか,分かりますか?」

写真に写っているのは,マース・ヒューズ。
並んで右隣にいるのがヒューズの奥さんのグレイシアで,その腕に抱えられている小さな女の子 ヒューズ夫妻の娘・エリシア。
いつも写真を見せられて,うんざりしているくらいなのに。

「だれ…ですか?」
「この人は,マース・ヒューズさんよ。 この女性がグレイシアさんで,この女の子がエリシアちゃん」
「ヒュー…ズ…」
「じゃぁ,この人は?」
「だれ…ですか?」
「ジャン・ハボック少尉ですよ。この方は?」
「わかりません…」
「ブレダ少尉です。ハイマンス・ブレダ少尉。 じゃぁ…この写真の男の子は誰だか分かりますか?」

今度は金髪に金色の目をした,少し小柄な少年をさした。

「…このちいさい…?…隣の大きな鎧と並んでいるから尚更小さく見えるな…」

その言葉が少年にとって禁句だということも,彼の記憶からは消えている。

「エドワード・エルリック君よ。この子も国家錬金術師で,『鋼の錬金術師』なの。 『ちいさい』って言われると,すぐ怒るらしいわよ」

看護婦さんは優雅に笑い,ページをめくって再び写真をさす。
金髪で子犬を抱いている,どこか凛とした雰囲気の女性。

「じゃぁ,この女性は?」
「この間お見舞いに来てくれた人…」
「ええ,そうですよ」
「だれ…で…」

『誰ですか?』と聞こうとして,なにかが声をとめる。
胸が熱くなる。

「わかりませんか?この女性は,リ…」
「言わないでください」

わかりそうで,わからない。なにかが思い出させることを拒む。
もう喉まででかかっているというのに―――


けたたましく放送が耳をついた。

「爆破予告です!至急,患者は外に避難してください!繰り返します…」
「爆破…って…例のテロの一味!?」
「この病院が!?嘘だろう!?」

がらりと勢いよくドアが開かれる。そこには,息を切らした医師の姿。

「患者の皆さん!至急外に避難してください!爆破まであと1時間をきっています!」

皆の間にどよめきが広がる。

「…はやく…はやく逃げろ!」

誰かが発したその言葉に,皆は冷静さを失った。

「うわあぁぁぁっ!!」

再び勢いよくドアが開かれ,我先にと人が溢れる。

「ロイさん,貴方もはやく!」

看護婦に名を呼ばれて,我に戻った。
「ちょっと待ってください…」

ロイはアルバムの中から写真をとりだし,発火布と一緒にポケットにいれた。

「ロイさん!急いで!」
「はい!」





病院の外も中も,人混みでごった返していた。
自分の意志にそわせて進むことなど,最早不可能に近いくらいだった。
なんとか外には出られたものの,身動きがとれない。

「おかあさん…怖いよぉ〜…」
「大丈夫よ,ね?落ち着いて」

足元の少年が泣き出した。年はだいたい5,6歳といったところだろうか。
母親のスカートの裾を掴み,頻りに母親に泣きつく。

「おいババア!そのガキさっさと黙らせろよ!」
「す…すみません!ほらボウヤ,静かにして」

傍にいた母親が,その男の子の頭を撫でた。

「うわあぁぁ〜ん…おかあさ〜ん…」
「ティト,黙りなさい,ね?お母さんがついてるから。怖くなんかないよ」
「うわあぁぁぁん…」

少年は泣きやみそうにない。


暫くして,少年の頭に大きな掌が優しく触れる。くしゃっと髪が音をたてた。

「ほら,泣いててどうする?男なら女の人を守ってあげるくらいでないと」

しゃがみこんで目線を合わせ,そしてニコリと笑うロイの姿がそこにはあった。

「お兄ちゃん…」

少年は泣きやみ,ロイを見上げる。

「ほら。泣いているよりその顔の方がずっとかっこいいぞ」
「うん!」
「ありがとうございます…」
「いいえ。それより早くこの子を避難させてあげないと」





冷たい銃声がひびく。
地で蠢く肉塊は,数秒して動きをとめた。
少し前まで生きていたひとりの人間は血にまみれ,道路に横たわる。

あたりは血の海。
テロリスト達はもうすでに軍に拘束されたか,死んでしまったか。
そのどちらかに分類されることだろう。
残すところ,あと一人。
首謀者,レイン・エルフォート。




つづく。。。
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