キイィィ…
ドンッッ!
鈍い音が,暗闇に響いた。
Remember…
ホークアイはいつもとかわらない凛とした表情で,廊下を歩いていた。
すると,部屋の中でなにやら話し声が。
またどうせサボっている人がいるのね,と。
こぞってサボっているだろう悪ガキたちを一蹴しようとドアノブを握った。
しかしその際,今まで最も叱ったことのある上官の話が耳に入った。
どうやら部屋の中から聞こえてきているようで,思わずドアを開ける手が止まった。
「まさか大佐が…殺しても死ななさそうな人だし」
きっと煙草を吹かしながら,密かに問題発言しているのは声からしておそらくハボック少尉。
「なっ,なに言ってるんですかハボック少尉っ!」
少尉の問題発言を慌ててフォローしている青年らしい声の主は,フュリー曹長のものだろう。
「でも俺結構重傷だって聞きましたよ。今週中は絶対安静だそうです。ま,噂話なんすけど火のないところに煙は立たないってね」
この声はブレダ少尉かしら?
すぐそこの裏庭に犬がいると知ったら,きっと一番に逃げだすだろう。
『大佐が…入院…?』
悪いとはおもいながらも,暫しの間外で話を聞いていた。
彼らが話していたことをまとめると,こう。
昨夜の深夜12時頃,大佐が連日ため込んでいた書類を片付けてから家に帰っていた途中,運悪くか通り魔に切りつけられ,道路に押し出されて。
不運は重なるもので,トラックが飛び出してきて大佐を轢き,トラックは大佐を連れて病院へ。
大佐はなんとか一命はとりとめた。
外部の傷は少ないが内臓や骨などに多数の損傷を負っている。
まだ意識はなく,いつ目覚めるか分からないらしい。
そして,大佐を切りつけた通り魔はまだ捕まっていない。
『そんな…大佐が…?うそ…でしょ…?』
大きな不安と恐怖に襲われながら,私は思い切ってドアを開けた。
予想以上に強く開けてしまったらしく,部屋の中にいた4人(ハボック少尉,ブレダ少尉,フュリー曹長,ファルマン准尉)に少し驚かれた。
4人は驚いた表情をして,私を見上げた。
そして目を合わせ,『仕事をしろ』と言いにきたのか。
「え〜っと…昨晩大佐が…」
「いいです。失礼ですが…外で聞かせてもらっていました。大佐が事故に遭ったんでしょう?そのことはわかりましたから,早く仕事に戻ってください。きっと軍部を狙ったテロに関しての書類が沢山たまっているはずですよ」
私はひどい不安を覚えながらも,偽物の表情をつくった。
誰もいなくなった部屋で,私は強い不安にかられた。
『だから今日休みだったんだ…』
ここで心配していても埒があかない。
仕事に戻ろう。
案の定,机にはいつもの倍くらいの量の書類が置かれていた。
椅子に座って,まずは書類の整備。
「これは管轄外だわ…私倉庫が爆弾で破壊されたもので…これが誘拐…」
『…?』
なにか頭にひっかかることがある。
よく見れば,被害者は全員軍部の上流階級。
『これも軍の人間を狙ったテロなんじゃ…』
その瞬間妙な胸騒ぎが私を襲い,大佐のことが脳裏を駆けめぐった。
書類をめくり,被害者の共通点を探す。
『中佐以上の階級で…』
被害を受けていて一番低い階級は中佐。
ちなみに被害内容は誘拐・遠距離からの狙撃。
誘拐された子供は,惨殺死体で荷物として送られてきたそうだ。
『イシュヴァールの内乱に関与していて…』
大佐は国家錬金術師としてイシュヴァールの内乱に参戦している。
それにもともと国家錬金術師といえば『軍の狗』とまでいわれて嫌われている。
大佐の場合,女性からはあまり嫌われてはいないのだが。
『もしかして…大佐の事故は事故じゃなくて…一方で起こっているテロ事件かもしれない…』
書類を見れば見るほどに,事故のことを強く関連づけさせる。
「…尉…ークアイ中尉,ホークアイ中尉!!」
「あ,ごめんなさい。どうしたの?」
「これ,追加の書類です。もうすぐ昼休みですから,この書類は午後に仕上げたらどうですか?」
「もう…そんな時間…」
「どうしたんですか?なんだかぼぉっとしちゃって。中尉らしくないですよ」
「あ,なんでもないわ。大丈夫」
…なんでもないわけではないのだが。
「そういえばマスタング大佐が事故に遭ったそうですよ」
「…そうらしいわね」
今日あたりお見舞いにでもいってあげようか。
でも今はこの仕事を仕上げなければ。
そして書類にサインしようとした。
「あ,そうだ。昼ご飯,ご一緒していいですか?」
「ごめんなさい。昼ご飯はこの書類を仕上げてからにするわ」
「そうですね。こんなにありますし」
「本当にごめんなさいね」
「いいえ,かまいません。書類,随分たまっているようですから頑張ってくださいね。無理しないでください」
「ええ。お気遣いありがとう」
「では,私昼食に行って来ます」
時計を見ると,もう午後2時前。
皆あらかた午前中の職務を終え,昼食を食べに行ってしまった。
つい先程まで賑やかだった部屋に,いきなり静寂が訪れた。
ひとりでいると,そして場が静かだと。
余計に事故のことが頭から離れない。
…今夜お見舞いにでも行こう。
林檎でも買っていってあげようか…
カツカツカツ。
ある病室の前で足音がとまる。
『ロイ・マスタング…ここね』
果物をもった手が揺れる。
その果物を片手にもちかえて,空いた右手でドアをノック。
そしてからりとドアを開け,病室に入ってかるく会釈。
「こんばんは,大佐。お久しぶりですね」
「・・・」
無反応。
ぼぉっとした顔で,いかにも間が抜けた表情で。
彼は私をじっと見つめた。
「…どうしたんですか?大佐」
「…誰?」
「え…?」
優しい笑みをこぼした口元で,少し寝ぼけているような目でただ一言,『誰』と。
それくらい私を傷つける言葉はなかった。
よく見てみれば,いつも自信に満ちていた漆黒の瞳には光が宿っていなくて。
その事実は,私の不安を駆り立てた。
夢だと思いたかった。
これは現実だという事実が重く,苦しく私の肩にのった。
「あの,私のことを『誰』って…」
「マスタングさんは一種の記憶喪失になっています」
「記憶…喪失…」
「彼の場合はなかなか特殊な例で,本人が大切だと思っていればいるほどその記憶が消えてしまいやすくなってしまっているんです。つまり思い出したくなかったり,忘れてしまいたかったりする記憶はまだ鮮明に思い出せてしまい,逆に覚えていたい,思い出したい記憶に関する全ての記憶を忘れているんです。好きな人のことや友人達のこと,仕事仲間や幼い頃の楽しかった思い出などはきっともう…」
医師がその後の言葉を言わなくても,私にはわかった。
きっと私のことも,ハボック少尉やブレダ少尉,ブラックハヤテ号や,大総統になるという自分の夢すらも忘れている。
いきなり胸が苦しくなった。
「記憶が戻る…可能性は…?」
「…あり得ないとまではいきませんが…20%か…せいぜい30%といったところでしょうか…」
医師は言葉を濁らせる。
「記憶を甦らせる方法は?具体的に言えばどういう方法が…?」
「今までの例で言えば…強いショックを与えたり,記憶をなくした当時の状況を再現してみたときに思い出すケースが多いですね。ただし再現する場合にはリスクが大きくて…」
「再現するとどうなるんですか?」
「ショックが強すぎて…下手をすればそのまま…死んでしまう可能性もあります」
私のことも…軍部の面々のことも全て忘れているかもしれない。
いや,きっと忘れていて。
想えば想うほどに胸の中で痛みが増していく。
「…なんで…私のこと…消しちゃったんですか…?」
ポツリと呟けば,哀しみと不安と,淋しさが私を襲った。
「…あ」
頬に優しく雨粒がおちた。
暗い雲が空を覆い尽くし,私の心を映しだすように雨が降り始めた。
傘なんて持っていない。
天気予報は晴れだったのに。
雨が身体にまとわりついて,濡らすことなんて私にとってはどうでもよかった。
泪は雨と混じり合い,静かに地へと堕ちた。
続く・・・。
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